イベントレポート - Foret

「もふもふ♪モスペット」作り体験教室 レポート

嵯峨野「千代の古道」を歩く レポート

久々のらくたびツアーの舞台は「嵯峨野」。嵯峨野は、秦氏などの渡来人がひらき、平安時代には天皇や貴族たちの狩猟や行楽地として愛された土地です。
まず訪ねたのは、「油懸地蔵」。以前、伏見などに行った際にも訪ねましたが、ここ嵯峨野の油懸地蔵は、お堂の扉も無く、間近にお姿を拝見できる貴重なところ。昔から油をかけられすぎたせいで、近年まで、仏像の種類は不明だったそうです。「大日如来じゃないか」「いや、地蔵菩薩だ」という予想から、お堂の上には大日如来と地蔵の両方の記載があります。しかし実際調査してみると、実はどちらでもなく、「阿弥陀如来」だったそうです。
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▲人々が長年かけ続けた油で真っ黒な油懸地蔵。阿弥陀如来だと分かったのは、印相(手のかたち)からだったそう。今も間近でお参りでき、近隣の人々の信仰を集めています

油懸地蔵から少し歩いた先にあったのが「ルルゲさん」。日蓮聖人の孫弟子、日像聖人が他宗教から迫害を受けた時に逃げ込んで、難を逃れたという逸話の残る場所なのですが、もともとは古墳だったのだとか。以来、災難を避ける功徳(龍華(ルルゲ))があるとして、ルルゲさんと呼ばれるようになったそうです。
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▲聖人が隠れた兜塚古墳があるのは、この石碑の向こう側。石碑は古墳の石蓋で、感謝の気持ちを込めてお題目を刻んだのだとか。

次に向かったのは、もとは広沢池を庭とするほど広大な伽藍を誇る大寺院だった「遍照寺」。平安時代中期に、宇多天皇の孫・寛朝が創建されましたが、応仁の乱で荒廃した後、現在の地に場所を移したのだとか。奇跡的に難を逃れた赤不動明王と十一面観音はいずれも重要文化財になっていて、「広沢の赤不動さん」と地元の人にしたわれています。
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▲住職から、寺の由緒や歴史をうかがいました

そして、嵯峨野の景勝地・広沢池へ。広沢池には、「嵯峨富士」と呼ばれる遍照寺山や観音島があり、すぐ隣には「兒神社(ちごじんじゃ)」があります。兒神社は、その名の通り児子(ちご)を祀った神社。遍照寺を創建した寛朝に仕えた少年が、寛朝が亡くなった後、悲観のあまり広沢池に身を投げてしまいました。それを哀れに思った地元の人々が、児子を祀る神社を立てた、という逸話が残っています。
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▲綺麗な稜線を描く、通称・嵯峨富士
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▲悲しい言い伝えの残る兒神社
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▲広沢池の観音島にいらっしゃる千手観音

広沢池を後にして、いよいよ平安貴族たちも歩いた「千代の古道」へ。建物の建築規制がしかれているため、昔からののどかな風景が広がります。古代の殿上人もこの道を歩いたのかと思うと、歴史ロマンを感じました!
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▲田んぼ、鳥のさえずり、初秋の爽やかな風・・・すべてが気持ちいい「千代の古道」

のんびり千代の古道を歩いていくと、やがて「大覚寺」にたどり着きます。大覚寺は、平安初期に嵯峨天皇が建てた離宮嵯峨院が前身で、別名・嵯峨御所とも呼ばれます。写真をご紹介できないのが残念なのですが、さすが御所の建物が使われているだけあって、一般のお寺とは雰囲気が違います。建物と建物をつなぐ回廊や、堂々たる寝殿造りの「宸殿」からは、平安の雅な趣が感じられます。
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▲大覚寺の式台玄関。さすが嵯峨御所だけあって、菊の御紋が・・・!

大覚寺は、嵯峨天皇が浄書された般若心経が納められていることで、般若心経写経の根本道場としても知られ、今回は、参加者全員で写経も体験してきました。
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▲袈裟をかけ、精神統一して写経に臨みます
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▲薄く下書きしてある写経用紙をなぞるだけ。でも集中していると時間がたつのを忘れてしまいました。

今回のらくたびは、いつもと一味違う、京都の自然を楽しめるツアーとなりました。街の喧騒を離れて心地よい時間を過ごすことで、日々の疲れが癒された気がします!


Foretでは、今後も皆様に楽しんでいただける企画を続々とご案内していきますので、どうぞご期待ください!

フクロウ

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